ハイコーフェス9

【ボクが大好きな鈴木実貴子ズについて】

9月に入って初めての定休日は、

朝から「出演者の物販コーナー」に貼り付けるイラストを、

無心に描いてる内に午前中が終わってしまいました。

午後からはきっとこの紹介文を書いて終わるのでしょうね。

「どんなくだらない事」でも「やり切る」ってエネルギーを使いますよね、

「やらなきゃいけない事」ばかりなのに時間ばかり過ぎてしまって、

気持ちばかり焦っても仕方ない事だけど、

もうずっと何をしてても心の何処かでは、

「ハイコーフェスのことばかり」考えてしまっていて、

どうにか出来る限りの事はやり尽くして悔いなくキレイに終わりたいけど、

気を抜くとすぐに「疲れた」しか口から出てこない今の状態は絶対に「いいこと」じゃないし、

なかなかやっぱり「良いバランス」は難しくてもどかしいばかりです。

 

みんな気になっている前売りチケットの予約数は今日現在で172人です。

「オッ!グーンと伸びたじゃん!」なんてビックリしたかと思いますが、

澁谷くんが「クソ」ほど頑張ってくれて20人も予約を取って来てくれて、

「まだまだオレのハイコーフェスは終わらせない!もう10人くらい連れてくるよ!」なんて鼻息も荒く、

ちゃんと「澁谷くんのボクのハイコーフェス」を全うしようとしてくれていました。

最後はやっぱり「クソ」ですよね、「クソ」が一番頼りになる!

 

とは言え、そう簡単に「クソ」になんかなれませんからね、

「クソ」になったら大変で、「クソ」になったらおしまいで、

それでも「クソにならずにいられない」こんな気持ちはロックンロールに違いないですよね!

正直前売り予約さえ好調なら少しは気持ちも楽なのでしょうが、

「最後だから来てね!」って殺し文句で頑張っているつもりが、

残り二十日を切ったこの状況でも以前として苦戦は続いている訳で、

毎年「これ」の繰り返しですからね、

「だから終わらなきゃいけなかった」のかも知れないけど、

だからって「負けた」なんて思った事は1度もないんだけど、

最後くらい「勝って終わりたいなー」ってのが正直な気持ちで、

ずっと意地でも「負け」を認めず続けて来たんだから、

最後に1回ぐらい勝って終わってみたいです!

 

近江さんも澁谷くんもメチャメチャ無茶していろんな人に声を掛けまくってくれているみたいで、

最後まで一緒になって「奇跡」を作ろうとしてくれています!

「どうせ来てもくれない知らねー奴の店にフライヤーなんか置いてもしょうがねーよ!」って思った時もあったけど、

「SNSでつながり作ってもめんどくさいよ!ダセーよ!」って思っていた時もあったけど、

「誰かの自己掲示欲のためにハイコーフェスが利用されるなんてまっぴらごめんだ!」って思った時もあったけど、

「ヘラヘラしてペコペコして全然興味ない人にまでCD配ってバカかな?」って思う時もあるけど、

全部やれる事して全部やり残した事を無しにして灰になりたいです!

それでダメならボクはようやくそこで「後悔」します!

「頑張ってもクソはクソだったな!」って、

「クソ中のクソだったな!」って笑って後悔します!

なので、どうか皆さんもほんの少しで良いのでハイコーフェスに力を貸してください!

「友達」でも「知り合い」でも「SNS」でも、ちょっと気が向いたら声を掛けてみてください!

もしかして1人くらいは「そんなに言うなら行ってみようかなー」ってやさしい人がいるかもで、

「やさしい人」には絶対ハイコーフェスが響くはずなので、

ハイコーフェスを愛する皆さんもどうか「頑張るクソ」になってくださいね!

「意味のないこと」をたくさんして「意味のない奇跡」を見せてやりましょう!

 

 そんな訳で出演者紹介8組目です!

愛に飢えた鬼が忘れ物を取り戻しに帰って来ます!

「殺気と愛は共存しない!」なんて言ってるお前がくたばれよ!

「鈴木実貴子ズ」の登場です!


 

 

 

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【ボクが大好きな鈴木実貴子ズについて】

 

「帰って来た実貴子ズはやさしかった」、

二年振りにハイコーフェスのステージに立った実貴子ズのライブを見て、

それがボクの素直な感想でした。

 

ずっとハイコーフェスを愛してくれた皆さんならご存知のとおりです。

鈴木実貴子ズってハイコーフェス5、6と連続出演をしていた出演者で、

ハイコーフェス7で突然の出演者選考漏れを経験し苦虫を噛んだ、

ハイコーフェスに裏切られる屈辱を味わった「唯一」の出演者です。

 

「ハイコーフェスに呼ばれなくなった出演者」は過去にもたくさんいるのに、

わざわざボクが「唯一」と書いたのには訳があって、

あんまりこんなところでこんな風に書くのはどうかと思いますが、

ボクが「ハイコーフェスに呼ばなくなった出演者」って、

「ボクの好きがずっと続かなかった」か、

「実際見たらそんなに好きじゃなかった」か、

理由は数あれど「本当の理由」を突き詰めていくと、

結局は「そのどちらか」に行きつく気がして、

「愛が残っていたのにハイコーフェスに出演出来なかった出演者」って、

実は「実貴子ズ以外」他にいない気がするんです。

 

もちろん1回しか出演してもらった事はないけど、

ずっと忘れられない出演者もいますよ。

ゆゆんとレッツゴーズの2組なんてボクは永遠に忘れられません。

どちらもあのタイミングで活動休止してしまって、

そこで「関係」が途切れてしまいましたが、

もしかしたら「たった1回」だったからずっと輝いて見えるのかも知れないけど、

でもずっと未だに大好きなままだし、ずっと忘れたくない大事な想い出です。

 

とは言え、この紹介文をいつも読んでくれてる皆さんならご存知のとおり、

ボクは「本当に自分が好きな出演者」は「どんな手」を使ってでも残してきたんです。

これから出演者紹介に登場する4組が良い例で、

平井さんにしろ、斎藤キャメルさんにしろ、プルタタにしろ、レテパにしろ、

今年はいないけど大森靖子さんにしろ、

ずっと「長い間ハイコーフェスと関わってもらっている出演者」って、

「ボク」が「あの人たちの音楽を好きだから」で、

「ボク」が「あの人たちの事を信頼しているから」で、

「ボク」が「あの人たちを必要としているから」で、

誰にどう思われようとか一切お構いなしに、

「みんなのハイコーフェス」じゃなくて、

「ボクのハイコーフェス」で勝手に決めてきた事なんです。

なのに「ボクのハイコーフェス」と「みんなのハイコーフェス」を天秤に掛けて、

「ボクの愛」と「みんなの愛」、「どちらの愛」が重いか判断して、

「ボクが引いてしまった経験」って実は実貴子ズが最初で最後で、

自分の意思とは裏腹に、でも誰のせいでもなくボクが自分で自分の意思だけで決めて、

「ボクが裏切ってしまった出演者」って、実は実貴子ズが「唯一」だったんです。

 

ボクは「好き」なのに実貴子ズを手放したんです。

「信頼」してたのに実貴子ズを突き放したんです。

「必要」としていたのに実貴子ズとさよならしたんです。

「愛」は確かに残っていたはずなのに実貴子ズを忘れたふりをしたんです。

 

実貴子ズの二人はいつもハイコーフェスの事を「愛まみれ」と言ってくれます。

なのにハイコーフェス出誰よりもボクが「実貴子ズの音楽」を信じていたはずなのに、

ボクは守るものが多過ぎて、ハイコーフェスと戦う事に疲れてしまって、

その辺の「経緯」や「想い」は去年死ぬほど書いたので今回は割愛させて頂きますが、

(だって去年の紹介文をさっき自分で読んで見たら、あまりの長さと重さに腰が抜けそうだったので!)

最も簡潔に分かりやすく書くと「ボクが実貴子ズの音楽を裏切った」から、

「そのせい」で実貴子ズとハイコーフェスには間には、

取り戻せないはずの「空白の時間」が生まれてしまった訳です。

 

好きな人に「裏切られる」って地獄だったと想うんです。

悔しくて、やり切れなくて、カッコ悪くて、情けなくて、

「なんで?なんで?なんで?なんで?」って、

その「想い」は決して消えるものではなかったと想います。

なのに実貴子ズはずっとその傷を抱えたまま、

そんな「消えない傷」すら愛おしむ様に全部抱きしめながら、

取り戻せないはずだった「空白の時間」を取り戻しに、

ハイコー史上初となる「出戻り出演者」として、

もう1度ハイコーフェスのステージに立ってくれたんです。

嫌な顔1つ見せず、それどころかいつもより「やさしい姿」で、

実貴子ズはハイコーフェスのステージに立っていたんです。

 

「空白の時間」って「ただ想いを募らせるだけの時間」だったと想うんです。

「恋って会ってる時間じゃなくて、会わない時間に生まれるものなんじゃないんですか?」って、

ボクが大事にしている大好きなドラマの忘れられない名台詞があるんだけど、

「ハイコーフェス」って「ハイコーフェスを好きな人」にとっては、

きっと「恋」と「同じ感覚」なんじゃないかなーって思う時があって、

「会ってる時間より会えない時間の方が大事なんじゃないですか?」って、

そんな風に想ってしまう時が皆さんにもあったりもしませんか?

もちろん出演者の皆さんにしてみたら、

「毎年出演し続けた方が良い」に決まっているのかも知れませんよ、

「愛」が続いている事の「確認」にもなるし、

「愛」が続いている事の「証明」にもなりますからね。

でも「確認」とか「証明」ばかりだとちょっと苦しくなっちゃいませんか?

「ねえ、私の事好き?」って、

「ねえ、オレのどこが好き?」って

「じゃあ、今すぐ好きって証明してみて!」って、

「じゃあ、君こそそれを証明してみて!」って、

なんかその繰り返しばかりだと「愛」が少し嫌いになっちゃいませんか?

本心で「好き」って言ってるんじゃなくて、言わされてる気になりませんか?

 

ボクはいつも「ハイコーフェス」が愛されているのか不安です。

出演者にもスタッフのみんなにも、

いつも来てくれるやさしいお客さんの皆さんからも、

いつもいつも「愛してるよ」って、

そんな素敵な「愛の言葉」をたくさん貰うんだけど、

でも、どうしたって「言わなきゃいけない雰囲気」ですよね「ハイコーフェス」って、

みんなボクに「気を使う」じゃないですか、だってそうじゃなきゃ可哀想だから。

でもボクは全然可哀想なんかじゃないし、

上辺だけの愛なんかすぐ分かっちゃうし全然欲しくもなんともなくて、

だからこそ「会ってる時間」が多いと逆にボクは不安になるのかも知れなくて、

ボクが「言わせてる」みたいな気になってしまって、それで不安になるんです。

(うーん、なんてめんどくさい性格なんでしょう!)

 

「愛の距離感」って本当に難しくて厄介ですよね。

「会えない時間」が多い方が人は相手の事をちゃんと「想う」事が出来たりもして、

だからこそ「相手を想いやる気持ち」が生まれるのかも知れなくて、

ちゃんと相手の事を想えてさえいたら「確認」も「証明」も要らない気がして、

好きになってもらうために好きなんじゃなくて、好きだから想うんです。

なんだか自分で書いて自分で意味分かんない感じになってますが、

あの日の実貴子ズが「今までのどの実貴子ズ」より「やさしく」見えたのは、

きっと「ただ想いを募らせるだけの時間」が誰よりも多かったからで、

「ただ想いを募らせるだけの時間」を実貴子ズは経験したから、

「実貴子ズの真実の愛」がちゃんとにも皆さんに届いた気がして、

ちゃんと胸を張って「愛されてる」って自覚があったと想うんです。

「愛しかない、それが世界を動かしている、それなしでは何もできない」、

「愛は真実、真実こそ愛」、

ハイコーフェスの愛も罪も全部、

ハイコーフェスのボクも君もみんなも全部、

全てを丸ごと抱きしめていた「去年のハイコーフェスの実貴子ズ」は、

誰の目にも「やさしく」映った事でしょう。

それが「去年のハイコーフェスの鈴木実貴子ズ」ですよ。

まさに「文句の付け所のないサイコーの実貴子ズ」だったんです。

 

「やさしさを纏った実貴子ズ」なんて最強ですからね、

「去年のハイコーフェスの実貴子ズ」は、

たくさんのお客さんから完全に愛されていました。

初めて見た時とも、2回目見た時とも、明らかに「何か」が違う、

あの日の実貴子ズは今まで見た事のない「鈴木実貴子ズ」だった気がします。

それもこれも全ては「空白の時間」があったからこそなんでしょうね、

「ただ想いを募らせるだけの時間」があったからこそ、

「それ」が実貴子ズを「良い方向」に導いてくれていたのでしょうね。

とにかく「ハイコーフェスのたくさんの想い」を二人で全部背負って、

全ての「想い」を抱きしめる様にステージに立っていた気がします。

 

「ライブは良いけど実貴子ズの歌はハイコーフェスには似合わない」、

そんな風に言われて来た事も今はすっかり懐かしい想い出で、

「実貴子ズめっちゃ良かったです!」

「実貴子ズめっちゃ当たりでした!」

「実貴子ズが神掛かってました!」、

「実貴子ズで朝から泣いちゃいました!」、

「実貴子ズが1番良かったです!」、

「今年は実貴子ズの年でした!」、

実貴子ズのライブを初めて見た人も、

ハイコーフェスで何度も実貴子ズを見守って来た人たちも、

みんな口を揃えたように実貴子ズのライブを絶賛していて、

ライブ後の物販だけ見てもCDが飛ぶ様に売れていて、

「ボクが大好きなハイコーフェスの鈴木実貴子ズ」じゃなくて、

本当の意味での「ハイコーフェスの鈴木実貴子ズ」になった気がしました。

「ハイコーフェスの鈴木実貴子ズの長い長い戦い」は、

ようやくこれで「終わり」を迎えた気がしたんです。

 

それが冒頭に書いたボクの感じた「やさしい実貴子ズの話」です。

でも「それ」が本当は実貴子ズの二人を苦しめていた事を、

ボクは知らずにぬか喜びしていたのでした。

めちゃめちゃ長い前置きになりましたが実はここからが本題です!

 

実は「去年のハイコーフェスの鈴木実貴子ズ」には「続き」があって、

皆さんの知らない「ハイコーフェスの呪いの話」があったのです!

それではご覧頂こう!「本当は怖い鈴木実貴子ズのハイコーフェスの話」です!

(心臓の弱い方は実貴子ズの事を想い、泣きながら読んでくださいね!)

 

 

ライブ終了後、大歓声と大きな拍手に包まれて緞帳が閉じたステージの上で、

「めっちゃ受け入れられてましたね!」と大喜びで駆け寄ったボクに、

「あーー!悔しい!もっと出来た!あーー!進藤さんのためだけに歌えば良かった!」、

「ハイコーフェス」に完璧に受け入れられた喜びも噛みしめつつ、

でもどこか悔しさを拭いきれない様に実貴子さんの口にした言葉は「そんな意外な言葉」で、

その時ボクはようやく、自分が犯してしまった「罪」に気がついたのでした。

「ボクの想い」が実貴子ズに「呪い」をかけていた事に気がついたのです。

 

ボクが「愛」だと想って勝手に押し付けていた言葉の数々は、

「重圧」として実貴子ズの背中に大きくのし掛かって、

ボクの「想い」は「念」になって、

「背負わされた念」は「呪い」になって、

「消えない呪い」は「魔物」になって、

「今までの実貴子ズ」は「ハイコーフェスの魔物」に喰い荒らされていたのです。

「私たちを裏切った進藤さんを見返してやりたい!」、

「ここにいる全ての人の心を撃ち抜きたい!」

「無念を晴らすサイコーのステージにしたい!」、

「ハイコーフェスの呪いを掻き消したい!」、

「ハイコーフェスにもう1度戻って来れて嬉しい!」

「でもハイコーフェスにもう1度愛してもらえるか怖い!」、

きっと並々ならぬ「自分たちのハイコーフェスへの想い」があったと想うんです。

そりゃあそうですよね、実貴子ズには「空白の時間」があった訳ですから、

他の出演者の誰よりも「自分たちのハイコーフェスへの想い」を抱えて、

大好きなハイコーフェスのステージの上でもう1度、

「実貴子ズの想い」を爆発させるはずだったんです。

 

にも関わらず「去年のハイコーフェスの実貴子ズ」は、

「自分の事」以上に「ハイコーフェスの事」を想い、

「ハイコーフェスの成功のためだけ」に歌っていたんです。

だからこそ「去年のハイコーフェスの実貴子ズ」は、

あんなにもたくさんの「みんな」から愛された訳で、

「今までの実貴子ズ」ってもっと「賛否両論」だった訳です、

100パーセントの人になんか愛されるはずのない歌で、

初めてハイコーフェスに出演してくれた時にプロフィールに書いていた言葉のとおり、

「2パーセントの人達に向けて1500パーセントでやっています」って、

そんな風に歌っていたのが「鈴木実貴子ズ」なんですから。

 

そもそもボクが実貴子ズの音楽を好きになったのも、

実貴子さんの歌に「本気」を超えた「殺気」を感じたからで、

「気合い」の上に「気合い」を塗り重ねたような「息苦しさ」にボクは「本物」を感じたからで、

実貴子さんの作る歌って、人によっては「毒にもなるし薬にもなる」そんな歌詞で、

どう頑張っても「聴く人を選んでしまう音楽」だと思うんです。

「エグる感覚」だったり、「光と影の表裏一体」だったり、

実貴子さんの歌を「まとも」に受けとめるにはそれ相当の覚悟が必要で、

それこそ聴く側にも「刺し違えられる」くらいの「覚悟」が必要で、

歌に込める事でしか行き場のない「感情」を泣き叫ぶかのように歌う姿は、

「喜怒哀楽」がひん曲がって、もはや「鬼怒哀落」で、

「鬼怒哀落」って言われても全然伝わらないかも知れませんが、

鬼が怒ったように感情が揺さぶられ哀しいほどに落ち着くのが実貴子ズの音楽なんです。

 

ボクは「やさしくなりたい」時に決まって実貴子ズの歌を車の中で聴いています。

哀しい時に、泣きたい夜に、悔しい時に、クソみたいな夜に、

「孤独」じゃなくて「孤高」になりたくて、

ひとりでは闇落ちできない弱過ぎるボクには、

実貴子ズの音楽の「殺気」や「息苦しさ」がどうしても必要で、

自分の「底」を思い知るためには「底」に叩きつけられる必要があって、

「底」からもう1度跳ね上がるためにも実貴子ズの音楽を聴いていたんです。

跳ね上がるためにはまずは1回落ちるところまで落ちる必要がありますよね、

落ちるからボクは落ち着いて、落ちたからボクは跳ね上がれるんです。

「全部否定して、全部拒絶して、でも最後には全て愛そうとする」、

「哀しい」も「泣きたい」も「悔しい」も「クソ」も、

そういうのを全部「やさしい」に変換させるためには、

一回自分の気持ちを殺してやる必要があって、

「毒と薬は紙一重」ですからね、

「ただのやさしさ」だけではハイコーフェスをやり切る自信がないから、

それ以上の「やさしすぎる気持ち」を手にするためにボクは「毒」を口にするんです。

あまりに抽象的すぎてもしかしたら全然伝わってないのかも知れないけど、

ハイコーフェスを続ける限りずっと、

ボクには「誰にも分かるはずがない、分かって欲しくない気持ち」が消える事はなくて、

そんな「ボクのハイコーフェスのグチャグチャの気持ち」を、

唯一肯定してくれたのが「実貴子ズの音楽」だったのです。

 

ボクは「弱気」な時しか「やさしく」なれないから、

実貴子ズの歌を通して落ちるところまで落ちてやって、

ちゃんと「自分の弱さ」と向き合って、抱きしめて、受け入れて、奮い立たせて、

そしてようやく「やさしく過ぎるくらいにやさしい気持ち」を手に入れたつもりになって、

そうやって少しづつ「ボクのハイコーフェス」は形を整えていきました。

いびつで刺々しくて痛々しくて可哀想だった「ボクのハイコーフェス」は、

そうやって何度も何度も「実貴子ズの音楽」に救われて、

「毒」に耐性をつけたボクの心は、

いつからか実貴子ズの歌が「薬」に変わって救われていたんです。

 

こんな気持ちは「普通の人」には伝わらない感情なのかも知れません。

でも、ボクだけの「孤高」、ボクだけの「モノ」、

ボクだけの「音楽」が鈴木実貴子ズだったから、

だからこそ「実貴子ズの音楽」なんて、

「みんな」には分からなくても良いとさえ想っていました。

だからこそ、それじゃあ「ハイコーフェス」が「ボクだけのモノ」みたいで、

それが自分で耐えられなくなってしまって、

ボクは実貴子ズの音楽を裏切って実貴子ズを1度ハイコーフェスの出演者から外したんです。

 

何だか話がよく分からない方向に飛んでいますが、

つまりは「何が言いたいのか」と言うと、

今年の実貴子ズには「ボクの想い」なんか全然お構いなしに、

「鈴木実貴子ズの鈴木実貴子ズによる鈴木実貴子ズのための音楽」を見せて欲しいと想ったんです。

「そんなのここに書かないで直接連絡しろよ!」って声もあるかもですが、

あんなにハイコーフェスを好きでいてくれる実貴子ズの二人が、

「こんな意味のない紹介文」を読んでくれない訳がないから、

ここで皆さんの前で正々堂々「宣言」する事で、

実貴子ズから「ハイコーフェスの呪い」を解いてやろうと想ったんです。

「ハイコーフェスの呪い」は永遠に続くからこそです。

 

初めてハイコーフェスに出演してくれた時に、

実貴子さんがボクに言ってくれた言葉があるんです。

「進藤さんが私たちを呼んだ事を後悔するライブをします!」、

誤解を招くと大変なので説明しますね、この「後悔する」って言うのは、

「こんなに愛で溢れてるハイコーフェスには似合わない私たちだけの音楽でギャフンと言わせてやる!」って意味で、

まさに「そのとおりの結果」になったのが「初登場の実貴子ズ」だったんです。

その証拠に「初登場の実貴子ズ」がその日物販で売ったCDの売上枚数は未だに破られていない金字塔で、

「ハイコーフェスには似合わない」って「前評判」を完全にひっくり返して、

「ハイコーフェスが知っている愛以上の愛」を見せてくれたのが「初登場の実貴子ズ」だったんです。

 

とは言えです、

どれだけ受け入れられようと、どれだけ物販が売れようと、

「毒」と感じてしまう人がいたのも確かで、

「ハイコーフェスの実貴子ズ」は予想通りの「賛否両論」でした。

「確かに実貴子ズの音楽は凄い!凄いけどハイコーフェスには似合わない!」、

そんな声がいつまでも消える事なくボクに付きまといました。

 

「そんな声があった事」をボクは去年この紹介文に書きました。

「ボクが実貴子ズを裏切った理由」として、

それをあたかも「みんなのハイコーフェスのせい」にするために、

必死で「言い訳」をするみたいに、ここに長々と書いてしまったんです。

 

さっきも書いた様にあんなにハイコーフェスを好きでいてくれる実貴子ズの二人が、

「こんな意味のない紹介文」を読んでくれない訳がないから、

ここで皆さんの前で正々堂々「宣言」する事で、

実貴子ズは自ら「ハイコーフェスの呪い」を受け入れたんです。

実貴子ズ自身が「ハイコーフェスの呪い」を全部抱きしめた上で、

それが「去年のハイコーフェスの鈴木実貴子ズ」だった訳です。

 

「去年のハイコーフェスの鈴木実貴子ズ」って、

「進藤さんが私たちを呼んだ事を後悔するライブをします!」じゃなくて、

「進藤さんが私たちを呼んだ事を後悔させないライブをします!」に変わっていたんです。

「変わった」じゃなくて意図的に「変えた」んだと想うんです、

「ボクのハイコーフェス」のために「本当の鈴木実貴子ズ」を「殺して」いたんです。

それがね、実貴子さんの「あーー!悔しい!もっと出来た!」で、

「あーー!もっと進藤さんのためだけに歌えば良かった!」だと想うんです。

この変化分かりますか?

「やさしい実貴子ズ」の正体分かりましたか?

ここが伝わってなきゃバカですよ!

そんなバカのせいで「ハイコーフェスの呪い」は生まれたんですからね!

 

 

去年のハイコーフェスの卒業アルバムに実貴子ズはこんなコメントを書いています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

1年目に感じていなかった愛の重さを背中に感じてしまいました。

知る事は、知ってもらう事は、こんなにもずっしりしているものなんだなと。

でも、その重さを独占したくなるところがハイコーフェスの厄介なところで、

今年のハイコーもサイコーだった。だったけど。

忘れ物をしたので取りに帰りたい気持ちです。すぐにでも。

それまで、くたばんなよ!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

分かりましたか?実貴子ズの「忘れ物」が何なのか?

「私の孤高をひきかえに良い歌を届けに来ました」、

そして「これ」が去年のハイコーフェスのライブの冒頭で実貴子さんが口にした言葉です。

分かりましたよね?実貴子ズが「取り」に戻りたいものが何なのか?

 

「ボクのハイコーフェスのしあわせ」って「みんなが喜んでくれる事」です。

「みんな」が喜んでくれない限り、どんなに「ボク」が楽しくても、

それは決して「本当のしあわせ」にはなりません。

でもだからって「ボクのしあわせのため」に「実貴子さんのしあわせ」を奪うなんて、

そんなの「ボク」が許しません。許される訳がないんです。

「孤高」だからこその「ボクが大好きな鈴木実貴子ズの音楽」が、

「ハイコーフェスのしあわせのため」に失われるなんてあってはならない事で、

実貴子さんは「みんな」のためになんか歌っちゃいけない人なのに、

「独り独り」のために歌ってこその「本当の鈴木実貴子ズ」なのに、

でも実貴子さんは「ボクのしあわせ」のために、

あの会場にいた「みんな」を喜ばせようとしてくれた気がするんです。

 

「怒り」にも似た「言葉にできない感情」をエネルギーにして歌っていたはずの実貴子さんがです、

「ハイコーフェスの愛」を「ハイコーフェスへの愛」をエネルギーに歌おうとしてくれていて、

もしかしたらそれが実貴子さん的にちょっと照れくさかったのかも知れません。

実貴子さんは初めて本気で「愛」を目の当たりにしてしまって、

どんな風に受け止めていいのか、どんな風に返していいのか、

「愛」ってヤツに戸惑ってしまったのかも知れません。

だからこその「やさしい実貴子ズ」、

だからこそ実貴子さんの「殺気」は「やさしさ」に包み隠されてしまって、

実貴子さんに「少しばかりの後悔」が残ったんじゃないかとボクは想うんです。

「みんな」は「それ」が「鈴木実貴子ズ」で良かったのかも知れないけど、

「実貴子さん」には「それ」が「騙してる」みたいな気がしていたのかも知れません。

「どんだけ歌に真剣なんだよ!」って思うけど、

「どんだけ音楽に真摯に向き合ってんだよ!」って思うけど、

「そんなの音楽じゃない」と思ってしまう実貴子さんがボクは大好きだから、

だからこそ「今年のハイコーフェスの実貴子ズ」が「それ」だとボクが耐えられなくて、

実貴子さんが「やり切れなかった」なんて「後悔」する様だと、

「そんな実貴子ズ」なんか「ボクが大好きな本当の鈴木実貴子ズ」ではなくて、

ボクが皆さんに「本当」にお見せしたかった「ボクが大好きな本当の鈴木実貴子ズ」は、

もっともっと愛に飢えた「鬼みたいな実貴子ズ」で、

ボクが「最後」に見てもらいたい「ハイコーフェスの鈴木実貴子ズ」は「そっちの実貴子ズ」で、

そうでなくては「この呪いは消えないんだろうな」って、そんな風に想うんです。

 

ハイコーフェスって「世界で一番面白い場所」です。

でもそれと同時に「世界で一番真っ暗な場所」でもあって、

ハイコーフェスが終わって外に出ると本当に「真っ暗」ですよね、

「本当は真っ暗な場所」がハイコーフェスの日だけは「光り輝いて」見えて、

「ボクのハイコーフェス」は「あの光景」と全く同じで、

「光と影」で成り立っている気がするんです。

どちらかが欠けたらダメで、どちらもあるから成立している気がするんです。

 

いつからでしょう、ハイコーフェスが続く限り、ボクの心は「ぐちゃぐちゃ」でした。

「やりたいこと」をしているだけだから、

「やらなきゃいけないことをするだけ」なのは分かっているけど、

でも誰かに向けてでもなく、何かに向けてでもなく、結局は自分に向けてなんだけど、

「くたばれよ!」って何度も叫びそうになりながら、

ようやくボクはハイコーフェス当日を迎える事が出来ます。

「何がそんなに大変なの?」って思うかも知れませんよね、

でも「大変そうに見せないようにしてるから」大変そうに見えないだけで、

近江さんも澁谷くんも事前準備を頑張ってくれてる何人かのみんなも同じです、

「光が当たらない影の部分」には「ハイコーフェスの深い闇」が存在して、

きっとボクと同じように「くたばれよ!」って叫びそうになりながら当日を迎える訳です。

でも「あの闇」があるからこそハイコーフェスの1日って本気でかけがえのない一瞬の輝きを放ててる訳で、

真っ暗な闇の中でこそ光の輝きが際立って見えるのと同じ様に、

「あの闇」があるからこそハイコーフェス当日は「愛」が際立って見える訳で、

そしたらね、「あの闇」を隠す必要なんかありますか?

「あの闇」だって「ハイコーフェスの奇跡」を支えた「大事な1つの何か」だと思いませんか?

 

実貴子ズの紹介文を書くまでボクは、

「最後のハイコーフェスは笑って終わりたい!」なんて、

「あの闇」を「全部無かったこと」にしようとしていたけど、

この紹介文を書いてる内に段々自分に腹が立ってきて、

それじゃあ「ハイコーフェスの闇」がなんだか「可哀想」になって来ちゃって、

なので、実貴子ズには今年、なんの遠慮もせず「ハイコーフェスの闇」を担当してもらいます。

今までだって「ハイコーフェスの闇」を担当してもらっていたつもりだけど、

「やさしさで包んだハイコーフェスの闇」なんて甘っちょろいもんじゃなくて、

「真っ暗な闇に飲み込まれても光り輝く本当の愛」を見せてもらう事にしたんです。

 

「ハイコーフェスの闇」を歌える出演者が実貴子ズ以外他にいますか?

「ハイコーフェスを続ける苦しみ」、

「ハイコーフェスを諦める憐れみ」、

「ハイコーフェスを終わる哀しみ」、

「ハイコーフェスを終わらせた憎しみ」、

どこに吐き出して良いのか分からない行き場のないこの気持ち、

どこから湧いてくるのか分からない悲鳴のような内からのこの叫びが、

きっと「ボクのハイコーフェスの呪い」だから、

実貴子ズが歌ってくれなきゃ誰が「この呪い」を解いてくれますか?

「お経」じゃ何にも報われないからボクと実貴子ズは「刺し違える」以外に方法はなくて、

偉い学者さんが「殺気と愛は共存できない」なんて言ってたけど、

実貴子ズにはそれが出来ると信じてるから「殺気」で「愛」を見せてもらうんです。

それで「この呪い」は「おしまい」に出来るはずだから、

だからこそ今年は実貴子ズに精一杯「嫌われ」に来てもらうんです!

 

多分、実貴子ズの二人も「最初」から、

ボクと同じ気持ちで「最後のハイコーフェス」に臨む覚悟だった気がしています。

今年の実貴子ズの「ハイコーフェスへの意気込み」を皆さんは熟読してくれてましたか?

「愛情の上に乗りながら、嫌われに行きます」、確かにそう書いてあるんです。

去年あれだけ「愛」を見せようとしていた実貴子ズが、

今年もう1度ハイコーフェスから「嫌われよう」としています、

「嫌われる事」だってれっきとした「ボクが君の想い出になってあげる」ですからね、

これは完全に「ハイコーフェスと刺し違え」に来てますよ!(ヒえー!怖いーーー!)

でもね、「ボクが大好きな鈴木実貴子ズ」って、やっぱりこうじゃなきゃダメで、

新曲「音楽やめたい」の中で実貴子さんはこんな事を歌っていました。

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止めなくてもいい音楽を探している

勝ち負けのない音楽を探している

悔しくもならない音楽を探している

でもそんなの音楽じゃないとも思っている

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そしたら「去年のハイコーフェスの鈴木実貴子ズ」って、

実貴子さんの中では「音楽じゃなかった」のかも知れなくて、

ボクが吐き出した「想い」をみんなに「証明」するために歌ってくれたのかも知れなくて、

ボクが吐き出した「想い」をボクが「確認」出来るように歌ってくれたのかも知れなくて、

そして「それ」が「去年のやさしい実貴子ズ」な訳で、

でも「それ」が「ボクが大好きな鈴木実貴子ズ」だったのか言えばそうじゃなくて、

「ボクが大好きな鈴木実貴子ズ」って、もっと殺気立った息苦しい疲れる音楽で、

だからって「やさしい実貴子ズがもう終わり」って訳じゃないですよ、

一度「ハイコーフェスの愛」を知ってしまったらそんな簡単に愛から逃れれる訳がなくて、

「今の実貴子さん」には愛が溢れてて、それどころかまだまだ愛に飢えてて、

「やさしい実貴子ズ」は健在の上で、「あの鬼みたいな実貴子ズ」に帰って来てもらうんです!

 

なので、「今まで見たどの実貴子ズ」とも「今年の実貴子ズ」は違います!

変わってないように見えるかもしれないけど、全然違います!

人が頑張ったのって、頑張って愛したのって、目に見えないのかもしれないけど、心に残ってて、

実貴子ズの心にも、実貴子ズに出会ってきた人達の心にも、もちろんボクの心にも、

「やさしい実貴子ズ」がちゃんと残っているからこそ、

「今年の実貴子ズ」には自信を持って「鬼みたいな実貴子ズ」で歌ってもらうんです!

 

「泣いた赤鬼」だってそうだったでしょ?

心やさしい青鬼くんは赤鬼くんのために「最後」は芝居をするでしょ?

「怖い鬼」のフリをして人間を襲うフリをして、

赤鬼くんが人間と「しあわせ」に暮らしていける様に自分が悪者になるでしょ?

「青鬼くん」が誰かなんて言わなくても分かりますよね?

「赤鬼くん」が誰かなんて言わなくても分かりますよね?

 

「愛に飢えたハイコーフェスの鬼」が大事な忘れ物を取り戻しにやって来ます!

「愛と狂気は共存しない!」なんて言ってるお前がくたばれよ!

これがボクが大好きな鈴木実貴子ズの愛と狂気の光と影の最終形態ですよ!

 

 

 

これで終わろうかと思ったけど愛に飢えた鬼のために最後にもう少しだけ!

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守るべきものを守る為なら

他を傷付けても許される事が続く限りは

この呪いは解けないんだろうな

この呪いは解けないんだろうな

30歳でも40歳でも同じ事をおもうのかな

どうしてボクらいつもさみしがるのかな

ハイコーが終わる、ハイコーが終わる

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実貴子ズの「平成が終わる」って新曲を繰り返し聴きながら、

こんなにも長い「意味のない出演者紹介」を書いてて気づいた事があって、

ボクはもう「このまま死ぬんじゃないか?」ってくらいに、

自分を振り絞ってここに「想い」を書いていて、

正直自分の中にある「想い」を全部さらけ出して、

それを「言葉」や「文章」にするのって本当に疲れます。

別に誰から頼まれた訳でもないんだから、

こんな「意味のない事」から逃げれるものならどんなに「楽」かと思います。

でも「想い」は「重い」から「想い」なんです、

「実貴子ズの音楽」もそれと同じでやっぱり凄く「重く」て、

でもだからこそ「想い」がちゃんとボクの心にのしかかって来て、

「重い」からって「想い」から全然逃げてなくて、むしろ真っ正面から向き合ってて、

「想い」を歌詞にするのだって相当に疲れるはずなんです。

「想い」を全力で口に出すのだって絶対疲れるはずだし、

「想い」を全身全霊込めて歌にするのなんて想像を絶するほど疲れるはずなんです。

なのに実貴子ズはどの曲もどの曲も「たった1滴の想い」すら残さない様にと、

「乾いた雑巾を絞る」みたいに自分を感情を絞り上げてて、

だからこそ真剣で誠実で真っ直ぐな実貴子さんの目の奥に、

怖いくらいの「狂気」を覚えてしまうのかも知れないけど、

実貴子ズの歌は「ボクが口に出してはいけない想い」を全部代わりに歌ってくれてる気がします。

 

「本気で愛すると人は狂いますよ」、

実貴子ズはボクの代わりに「そんな気持ち」を歌ってくれました。

もし実貴子ズがボクの代わりに「そんな歌」を歌ってくれていなかったら、

ボクはこんなにも「やさしい人間」でいられなかったかも知れません。

おかげでボクは道を踏み外さずにすみました。

 

「貫き通せないやさしさ」は「もはや、やさしさではない」ですからね、

「本当のやさしさ」で「みんな」をぶっ殺してやりますね!

「大切なもの」は大抵死んだ後に気づくらしいから、

「殺されなきゃ分からない」のが「ハイコーフェスのやさしさ」だから、

「想い」も「念」も「呪い」も「魔物」も「全部やさしさ」で「全部愛」だったんだね、

危うく「みんな」に残さず伝えきれないままハイコーフェスが終えちゃうところでした。

 

この「やさしさ」と「愛」が、

実貴子ズの「やさしさ」と「愛」がどうか皆さんに「ちゃんと伝われば良いのにな」って願います。

 

実貴子ズには「毒にも薬にもならない音楽」なんてありえません。

使い方を間違えれば人を殺めてしまう可能性はあっても、

使い方さえ間違えなければ薬です。

毒を食らわなければ「治せない病」もあります。

 

殺したいほど愛してくれてありがとう。

もうボクはこのまま「ダメ」になりそうだったから、

実貴子ズが「愛してくれたハイコーフェスのまま」で終わりにしたいから、

このままさよならします。

最後に思いっきり実貴子さんに叱られてハイコーフェスを終わりにします。

人生で一番の「くたばれよ!」下さいね!

「やさしく強く殺してね❤️」

 

いつまでも君の友達、赤鬼より

 

 

 

追伸:ゴマシオの営業中に実貴子ズにハイコーフェスの出演依頼のメールを送ってその10分後でした、

誰か「お客さん」が来たなーと思って厨房から入り口を覗き込むと、

「出まーす!」って満面の笑顔の実貴子ズの二人がそこに立ってて、

「名古屋」にいるはず二人なのに「何で!?」って、「夢か!?」って本当にビックリしました!

それを「奇跡」と呼んだら「奇跡」が安っぽくなっちゃうかも知れないけど、

それを「奇跡」と呼ばなかったら何が「奇跡」か分からなくなりそうで、

もうすでに実貴子ズには「奇跡」が完成しているから、安心して見に来てくださいね!

「アホ」も「奇跡」も大抵は「繰り返すもの」ですから!

 そうでしたよね?実貴子さん!