ハイコーフェス9
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【ボクが大好きなマドベについて】

あっという間に「9月」ですね。

「そんなにのんびり出演者紹介書いてて大丈夫?」、

なんて心配してる人もたくさんいるかも知れませんが、

書き始めたら「書き切る」しか「やり方」を知らなくて、

連日連夜「想って」ばかりです。

昨夜は「FMはなび」の「ぼくたち軟式音楽部」ってラジオ番組に呼んでもらって、

近江さんに誘われるがまま澁谷くんと3人でハイコーフェス特集の収録に行って来ました。

せっかく改まって「ロックって何ですか?」って質問してもらっても、

「ハイコーフェスってどんなフェス?」って質問してもらっても、

そもそも「それ」が分からないまま続けてきた訳だから、

どんなに「何か」を伝えたくても、

やっぱりこれが全然伝えきれないものですね。

「あー、なんかふざけて終わっちゃったなー」って反省もしたけど、

「溜まっていた想い」みたいなのを少しは吐き出せた気がしてスッキリしました。

近江さんも澁谷くんもとにかく楽しそうだったから良かったのかなーと想う事にします。

 

放送は「FMはなび」で「9/8」と「9/15」のいづれも「土曜日夜9時」からの放送で、

各回30分間オールハイコーフェス特集でお送りして下さるそうなので、

1人でも2人でも良いからラジオを聴いて面白そうだなーって、

ハイコーフェスに行ってみようかなーって思ってくれる人がいてくれたら嬉しい限りです。

いい暇つぶしくらいにはちょうど良いと思うので、

土曜日の夜なのにちょっと退屈な人はぜひ聴いてみてください。

 

収録帰りは「息抜きも大事だぜ!」って近江さんの提案で3人でちょっとだけビールを飲みました。

時間にしたらたった1時間ちょっとだったけど本当に楽しい時間でした。

「ハイコー前にこんな楽しい時間があっては罰が当たる」って思ってしまうのがボクの悪い癖だけど、

「こんな楽しい」に飽きて始めたのが「ハイコーフェスの楽しい」だったはずが、

昨日は2杯だけ飲んだビールに救われた様な気もして、

やっぱりボクは「楽しい」が分からなくなりました。

たくさんの「楽しい」をひきかえにしないと成り立たないのが「ハイコーフェスの楽しい」だけど、

きっと神様もあれくらいの「楽しい」は大目に見てくれるんじゃないと思ってしまって、

ねえ、神様、「楽しい」をひきかえにしないと手に入らない「楽しい」は「本当の楽しい」なんですか?って、

ちょっとそんな気分にもなりました。

とは言え、毎日楽しいばかりじゃ「本当の楽しい」がどれなのか分からなくなりそうなので、

今夜も修行のように「楽しい」を想う事にします。

 

 

そんな訳で今夜も書いても書いても終わらない出演者紹介は7組目!

1人ぼっちをやめて君は離れて行くんだろ?

ひとりぼっちのあの子の物語もいよいよ最後の1ページです!

sunny sunny girlと通算して4回目の出演は、

なんと新バンドでの出演です!

「マドベ」の登場です!

 

 

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【ボクが大好きなマドベについて】

 

ボクは「ひとりぼっち」が大好きで、

「ひとりぼっちのあの子」が歌う、

「ひとりぼっちの淋しい歌」が好きでした。

 

「ボクのハイコーフェス」を語る上で、

これは欠かせないなーって「キーワード」が幾つかあって、

その中の1つが皆さんもご存知の「ひとりぼっち」です。

「ひとりぼっちが怖いからハンパに成長してきた」、

ブルーハーツのマーシーでさえそんな風に歌ってしまうくらいです、

「ひとりぼっち」って、それほどまでに「怖い事」なのでしょう。

なのにどうしてでしょうね?どうして「ひとりぼっち」が、

「ボクのハイコーフェス」の大事なキーワードだったんでしょう?

 

ハイコーフェスって「変なフェス」です。

でも一応は「ちゃんとフェス 」もしている訳で、

紛いなりにも「音楽フェス」をしている訳で、

「ひとりぼっち」ってなんとなく「フェス」には似合いませんよね。

 

でも、「普通のフェス」と距離を取ってしまいそうな

「ひとりぼっち」に寄り添って続けて来たつもりなのがハイコーフェスで、

「ひとりぼっち」に「変な価値」を見出してきたつもりなのもハイコーフェス で、

そんな「ひとりぼっちだったあの子」が「バンド」で出演する初めてのハイコーフェス、

「ひとりぼっち」をやめてしまったあの子がどんな歌を届けに来てくれるのか、

簡単に書くと今日はそんなお話、「ひとりぼっちのあの子の話」です。

 

 

さて「ひとりぼっちで歌うあの子」って誰の事でしょう?

「あの子」って皆さんご存知の「sunny sunny girl」で、

ボクは「サニーサニーさん」って呼んでいます。

ハイコーフェス には4回目の出演になるので説明不要かとは思いますが、

それまでほとんどライブ経験すらなかった女の子が、

家でひとり、誰に聞かせるでもなくただギターを弾いて歌っているような、

言い方は悪いけど「無名中の無名」だった弾き語りの女の子が、

まさに「大抜擢」される形でハイコーフェスのステージに登場し、

自分以外は誰も頼れる人がいないステージの上、

たった1人で歌うあの姿は、

今でも語り継がれる「ハイコーフェスのシンデレラストーリ」そのものでした。

 

 

「淋しさの中に淋しさ以外の全部が見えました」、

サニーサニーさんのステージを初めて目にした人の多くが、

きっとそんな感想を持つんじゃないかなーとボクは想っています。

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「さびしい」は「たのしい」の裏返し

ハイコーフェスの翌朝

ボクは急いで友達に電話をして

お茶を飲んだりキャッチボールをした

1人でいるには耐えがたかった

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これは1回目のハイコーフェスの時にボクが書いた卒業アルバムのコメントですが、

サニーサニーさんのライブって「あの時のボク」みたいな感覚です。

「淋しい」から「楽しい」を求めて、

「楽しい」が「淋しい」になって、

「淋しい」が「恋しい」になって、

「恋しい」が「愛しい」になって、

「愛しい」が「悲しい」になって、

「悲しい」が「淋しい」に戻る、

たくさんの「感情」が結局「淋しい」の中でぐるぐる回っている感じで、

残念ながらハイコーフェスに魅せられてしまった愛すべき「淋しい大人たち」の心のカサブタを剥がしとる、

全く不思議な新感覚の淋しい歌がサニーサニーさんの持ち味で、

ボクには「ひとりぼっちのひとりぼっちによるひとりぼっちのための音楽」に見えました。

 

「無名中の無名のあの子」が4回続けてハイコーフェスに出演するなんて誰が想像したでしょう?

派手さがある訳でもなく、歌が上手な訳でもなく、特別なカリスマ性がある訳でもなく、

でも「サニーサニーさんの音楽」には「圧倒的な淋しさ」が見えて、

サニーサニーさんの歌には「淋しさの中に淋しさ以外の全部」が見えました。

 

ハイコーフェスって「世界で一番面白い場所」だからこそ、

世界で一番淋しくなくてはいけなくて、

なのでサニーサニーさんがいないと、

ハイコーフェスから「淋しさ」が失われてしまいそうで、

どんなにボクの嗜好が変わっても、

どんなにボクが「バンドが好きだ!」と想っても、

どんなにボクが「ロックンロール!」に憧れても、

ハイコーフェスから「淋しさ」が失われてしまっては、

それはもう「ハイコーフェス」とは呼べませんからね。

 

「あの頃のボク」を皆さんは覚えていますか?

「あの頃のボク」って、

「気違う寸前まで自分で自分を追い込んで苦しくなっていた頃のボク」で、

たくさんの人に支えられてハイコーフェスを続けてるつもりが、

勝手に全部を背負いすぎて苦しくなっちゃっていた頃で、

別に誰も背負ってくれなんて言ってないのに、

「みんなのハイコーフェス」を勝手に背負っては苦しくなって、

勝手に自分で背負っておきながら「ボクのハイコーフェス 」は押し潰されそうな感じでした。

 

トムボウイズの紹介文でも少し触れましたが、

サニーサニーさんが初めてハイコーに登場した「6回目のハイコーフェス」って、

お客さんをたくさん集められなかったハイコーフェスで、

4回目、5回目と「ハイコーフェスの救世主」となってくれていた、

大森靖子さんがご出産のため出演を見送った回で、

今思えばね、大森靖子さんの穴を埋めるなんてボクに出来っこないのに、

「オレが大森靖子さんの穴を埋めてやるんだ!」って、

「オレがやらなきゃ誰がやるんだ!」って、

「オレがどんなにハイコーフェスを好きかなんか誰も分かってくれないさ!」って

あの年のボクはとにかく必死で、まるで鬼の形相、鬼気迫るピリピリの進藤くんで、

そうなるとそりゃあそうですよね、

「強くなりすぎた気持ちはみんなに怖がられる」ですよね。

「ひとりぼっちが怖いからハンパに成長してきた」つもりだったのに、

いつしかボクは「ひとりぼっち」に憧れるようになっていて、

それがあの時に「僕」の中に生まれたもう1人の「ボク」で、

「ハイコーフェスの進藤くん」が生まれた事で「ハイコーフェスの歯車」は少しづつ狂っていって、

「たくさんの大切な人たちの想い」なんかより、

ちゃんと「自分の想い」と向き合わないと「真実」じゃない気がして、

「本当にしたい事があるならひとりぼっちでいる事だよ」、

「君が独りの時、本当に独りの時に、誰もできなかったことを成し遂げろ」、

「きみがひとりぼっちで誰も助けてくれなかったら自分で自分に「ガンバれ!」って言ってやるんだ」、

「やりたいようにをやるだけさ、だからうまくいくんだよ」、

ボクはまるで自分がジョンレノンかボブディランにでもなったつもりで、

「ひとりぼっちの名言」を支えにハイコーフェスと向き合うようになっていました。

 

「1人ってそんなに良いもんじゃないよ。」、

7回目のハイコーフェスの時かな?

そんなボクを見兼ねた平井さんがそんな風に声を掛けてくれた事もあったけど、

「ひとりぼっちのボク」がいてくれたおかげでハイコーフェスはここまで続いてくれて、

「ひとりぼっちのボク」が消えてしまいそうだからハイコーフェスは終わってしまう訳で、

良い意味でも悪い意味でも「ひとりぼっちのボク」がハイコーフェスには必要だった気もします。

 

「なんでそんなに?」って、

「何をそんなに?」って、

みんなそんな風に思うのかも知れませんが、

ボクの憧れる「ひとりぼっち」って感覚は、

「誰かに分かってもらいたい」って気持ちじゃなくて、

「分かってたまるか!」って気持ちで、

「ひとりぼっちのボク」のせいでハイコーフェスの歯車は狂ってしまったのは確かだけど、

「ひとりぼっちのボク」がいてくれない事にはハイコーフェスは成り立たずで、

「ハイコーフェスの偏った愛情」の正体って、

きっと「ひとりぼっちのボク」だったから、

ボクは「ひとりぼっちのボク」に感謝すらしているんです。

 

「おかげでハイコーフェスは終わるけど、おかげでハイコーフェスは続きました」って、

誰にも分かってもらえなくても、でも「今」はそんな気持ちで一杯です。

だからこそボクはハイコーフェスが続く限り、

サニーサニーさんの歌がずっとハイコーフェスには必要だと想っていた訳だし、

最後までずっと手放したくない、そばに置いておきたいそんな歌でした。

あの子が歌う姿をいつも頑張れ!って応援するような気持ちで見てしまうのも、

心のどこかできっと「ひとりぼっちで歌うあの子」に自分を重ねて見ているからなのでしょう。

「もう一人の自分」とか「分身」とか言うと大袈裟かもだけど、

でも「そんな気持ち」がなかった訳でも無くて、

「分かってもらえるはずのない気持ち」を「分かってもらえてる気」にさせてくれのが、

「ひとりぼっちのあの子が歌う淋しい歌」だったのかも知れません。

 

ボクがサニーサニーさんと初めて会ったのは、

そんな6回目のハイコーフェスの半年前でした。

初めて音楽サイトでその歌を聴いた時にあまりの種撃で、

「こんなに淋しい歌を歌える人がいるんだ!」とボクはお喜びで、

初めて「本物のひとりぼっち」に会えた気がしてとにかく嬉しかったんです。

 

初めて会った時の会話をボクは良く覚えています、

「初めて会った人にいきなり陰鬱ですか?って聞くからこの人バカなのかなーと思った」って、

サニーサニーさんが後でボクに第一印象を教えてくれた事だけど、

ボクはサニーサニーさんの歌を聴いていると、

誰にも分かってもらえない、分かって欲しくない、分かるはずのない気持ちが、

「もしかしてこの人なら分かってもらえるんじゃないか?」ってそんな気持ちになって、

本当に「ボクの分身」だと思ってしまって、

ついついバカな事も聞きたくなったのかも知れません。

 

とにかく「ひとりぼっちのあの子が歌う淋しい歌」を好きでいる事は、

自分を好きでいる事と同じ気がして、

せめて自分くらい自分を好きでいてあげたい気持ちで見ていたのかも知れません。

単純にあの子の歌が好きだったのか、

それとも「そんな理由」が好きだったのか、

今となっては自分でもよく分からない気もするけど、

とにかくボクは「ひとりぼっちのあの子が歌う淋しい歌」が大好きでした。

ずっと「ひとりぼっちのあの子の物語」の続編を楽しみに、

あの日の出会いをきっかけにもう4年の付き合いですね、

「sunny sunny girl」はハイコーフェスのステージで、

「ひとりぼっちの淋しい歌」を歌い続けてくれた訳です。

 

でもそんな「ひとりぼっちで淋しい歌を歌うあの子」の姿を、

残念ながら最後のハイコーフェスでは見ることは出来ません。

最後は「バンド」で登場だから、

あの子が見つけた「あたらしい世界」が「バンド」だったから、

だってこれで「最後のハイコーフェス」なんですもんね。

ボクも君もみんなもハイコーフェスが終わったら淋しくて仕方ないはずだから、

もうこの先「ひとりぼっち」で生きていけそうにないからこそ、

「最後のハイコーフェス」で「ひとりぼっち」を「卒業」しないといけないんです。

 

今思えばですけどね、

「ひとりぼっちのあの子の物語」に「伏線」がなかった訳ではありません。

むしろ「ちゃんと前回までの伏線」を回収しに来てる感じです。

去年のハイコーフェスでボクは、

「サニーサニーバンド」の一員としてステージに立たせてもらいました。

ハイコーフェスがもう長くない事が何となく分かっていたので、

最後に「何かとんでもないこと」をしてみたくて、

1ヶ月前にサニーサニーさんにお願いさせてもらって最後に1曲だけ、

近江さん夫婦と澁谷くんとこーちゃんと一緒にステージに立たせてもらって、

ボクが1回目のハイコーフェスの時に歌った思い出の名曲?、

「セックスの唄」を一緒に演奏させてもらいました。

「ひとりぼっち」が「あの子」の代名詞でしたからね、

いつも「ひとりぼっち」で歌っていたサニーサニーさんは、

ボクらと一緒に演奏した時の事を本当に大袈裟に喜んでくれて、

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ハイコーフェスでサニーサニーバンドでステージに立った時、

あの瞬間が人生の全てかもって思ったりします。

気のせいかも知れないけど、そうだったらいいね。

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「その時の想い出」を後でこんな風にボクに伝えてくれました。

今思えばボクもサニーサニーさんも「想い出」を作りたかったんだと思います。

 

 

そして今年の3月でしたね、

「サニーサニーバンドの時のような安心感が欲しかったのかも」、

岡山で新しく「バンド」を結成した事を連絡して来てくれた時も、

確かそんな事を言っていた気がします。

今だから言いますけどね、ボクは正直言うと複雑な気分でした。

だって「ひとりぼっちで歌うあの子」の1番のファンはボクなんです。

「ひとりぼっちのあの子が歌う淋しい歌」の1番のファンがボクなのに、

そんな1番のファンのはずのボク自身が「バンドの引き金」を引いてしまったみたいな気分で、

ボクが誰よりも「ひとりぼっち」で歌ってこそのサニーサニーさんだと想っていたのに、

ボクが誰よりも「ひとりぼっち」で歌ってこその淋しさだと想っていたのに、

「あー、なんかあの特別な感じが失われてしまうんじゃないか」と、

「あー、何かとんでもない事をしてしまったんじゃないか」と急に不安になってしまって、

「ひとりぼっちのあの子」がどこかに消えてなくなりそうな気がして、

なんかそれがちょっと淋しかったのかも知れません。

 

ボクは「バンド」って「鎧」なんじゃないかと想ってて、

例えば同じ人が同じ歌を歌うにしても、

複数のアイディアを元にメンバーで協力し合って分担しあって、

そうやって作り上げた曲には「新たな物語」が宿る訳だし、

メンバー1人の素晴らしいアイディアで、

それが仮に本来意図していなかった方向に転がる場合であっても、

それはそれで「想像を超えた」なら全部オッケーな訳だし、

元々は「ひとり」から生まれたものなのに、

いろんなものや事が重なるって「あたらしい歌」になって、

単純にたくさんの音が重なるって事でいわゆるグルーブ感ってヤツも出ますよね。

そして何より、ステージに立った時にひとりじゃないってのが何より心強いですよね。

何かを信じて集まるべくして集まったメンバーがステージに立ってるだけで、、

ただステージに並んでいるだけで、それだけで「何か1つ物語」がそこに見えて、

仲間がいるって事は助けなきゃいけない事だけど助けてもらえる訳で、

自分以外に味方がいてくれたら自分くらいはとんでもなく無茶だって出来ますよね。

そんな意味でも「バンド」である事って、

音楽をやる上で「最強の鎧」を纏うみたいな感じで、

だからこそ世の中にはこんなにたくさんの「バンド」が溢れている訳だし、

「最強の鎧を纏った音楽」だからこそ、

いつからかハイコーフェスも「バンド」に夢を見てしまっている訳ですからね。

でも「あの子」の場合に限っては「鎧を脱いだ裸の状態」だったからこそしてしまって、

必ずしも「それ」が当てはまらない気がしてしまって、

「淋しい歌」って「圧倒的」でなければならないのに「

だから「バンドで歌う」って事自体が「意外だなー」って感じてしまった訳だけど、

散々こんな長い前フリを書いて来ましたが、

「マドベ」の曲を初めて聴いた時にボクの不安はカンタンに吹き飛んだのです。

こんな「面白いバンド」なら喜んで、

ボクはあの子を「淋しさ」から解放してあげられる気がしたのです。

 

 

「マドベ」は4人組のバンドです。

ボーカル、ギターに「サニーサニーさん」、

リードギターに「ナナコさん」、

(ナナコさんはつい先日新メンバーとして追加招集された期待のギタリストです)

ベースに「タナベくん」、

ドラムに「ユミちゃん」、

メンバーの「字面」からして「カワイイ」感じが漂う、

いい意味で「普通」で、いい意味で「ドタバタ」で、

いい意味で「不安定」で、いい意味で「最強なバンド」です。

 

失礼を承知で書くと、見た目に「インパクト」なんか全然ありません。

「華」って感じだけで見たらめちゃめちゃ「普通」で、

見た目だけで言ってしまったらむしろボクや近江さんの方が何倍も、

「ヤバいミュージシャンオーラ」を醸し出してるくらいです。

では「演奏」はどうでしょう、

演奏が良かったら見た目なんか関係ありませんよね。

でも「演奏」も「マゴマゴ」してて「ドタバタ」してて、

決して「上手いバンド」って感じには思えません。

「待て待て!じゃあ肝心の「歌」はどうなの?」って、

「歌はとんでもなく凄いんでしょう?」って、

誰だってそんな風に想われるかと思いますが、

ボーカルがサニーサニーさんなんだから相変わらずの「不安定な声」です。

大人なんだか子供なんだか分からない、

女の子なんだか男の子なんだか分からない、

相変わらずの「うわずったクセの強い切ない声」で、

「待て待て!じゃあ何が最強なんだよ!」って声もあるかと思いますが、

「どうしようもない」からこそ「ロック」で、

「どうしようもない」からこそ「バンド」で、

「ロックって、バンドって、どうしようもないお前も生きてていいんだぞ!って事なんだよ」って、

昔聞いたラジオでブルーハーツのヒロトがそう言ってたんだから、

そしたらこんなに「不完全でどうしようもないバンド」ってハイコーフェス史上初ですからね、

そんな一見すると「不完全なバンドのマドベ」が面白くない訳なくて、

だからこそボクはマドベが「ある意味最強」だと思ったんです。

 

こんな例えが「あってる」のか分かりませんが、

「マドベ」って「バンド」は、

「キン肉マン」で言うと「ブロッケンjr」で、

「ワンピース」で言うと「ウソップ」で、

「スラムダンク」で言うと「小暮くん」で、

だからこそ「ハイコーフェスに必要なバンド」って気がしています。

 

キン肉マンの「ブロッケンjr」って「半人前」ですよね。

キン肉マンにテリーマン、ラーメンマンにロビンマスク、

あれだけの正義超人の中で1人だけ「人間」で、

厳しい訓練の末、腕にドクロの徽章(きしょう)を与えられたことで「超人」になるんです。

マドベもなんかそれに似てて、

今年のハイコーフェスの出演バンドの中で1組だけ「人間」なんです。

だって見るからに他の出演バンドって「超人」ですよね。

もはや「キン肉マンフェニックス」や「悪魔将軍」並みの強敵揃いです。

でも「ブロッケンjr」がどうしていつも人気投票でトップテンに入っていたかと言うと、

「半人前」って設定があったからこそだと思うんです。

決して超人パワー的には恵まれた数値ではないけど、

格上の相手を道連れに自らの命を捨てたり、

なんかそういう姿に少年たちは胸を打たれていた気がするんです。

 

ワンピースの「ウソップ」もマドベと似ています。

特殊能力を身につけた最強の仲間の中で一見すると1人だけ場違いで、

臆病で弱虫で自信がなくていつも「ドタバタ」してる印象です。

でもそんないつもは「ドタバタ」してる頼りなさそうな「ウソップ」が、

どうしてあんな「最強の麦わら一味」でいられたかと言えば、

「男にゃあどうしても戦いを避けちゃならねぇ時がある!仲間の夢を笑われた時だ!!」ってな具合にね、

「もうダメだ!」って「土壇場」の時こそ、「ここぞ!」って場面でこそ、

仲間のために泥臭く活躍してくれるからで、

普段のドタバタで頼りなさそうな「ウソップ」を知っているからこそ、

思わずグッと来てウルッと来て心を掴まれて、

気がつくと最後には涙が出そうなくらいに「感動」しちゃってる訳です。

 

スラムダンクの「小暮くん」もマドベと似ています。

タレント揃いのスタメンメンバーと比較され、

相手チームからは「翔北の不安要素」と言われたくらいです。

ところがどうでしょう、インターハイ出場を懸けた大一番、

試合を決めたのは「小暮くんの3Pシュート」でしたよね。

名将田岡監督の想定を見事に裏切っての、

「あいつも三年間がんばってきた男なんだ、侮ってはいけなかった」でしたよね。

あのシュートって「まぐれ」だったのかも知れないし、

それこそ「奇跡」だったのかも知れないけど、

あの場面に限っては、「実力」も「まぐれ」や「たまたま」も「全部奇跡」で、

バスケに関してだけで見たら「少し頼りない」くらいの立ち位置だった「小暮くん」が、

あの場面で「奇跡の3Pシュート」を決めたからこそ、

スラムダンクの名場面としていつまでもみんなの想い出に残った訳です。

「あのシュート」が「流川」だったら「想定内」です。

「あのシュート」が「桜木」だったとしても「想定内」です。

「赤木」だとしても「三井」だったとしても「宮城」でもそうです。

「あの場面」でエースやスタメンになれなかった「小暮くん」が決めたからこそ、

「伝説の名シーン」としてみんなの心に響かなかったと思うんです。

 

「マドベ」って「半人前のブロッケンjr」みたいだからこそ応援したくなるんです。

「ドタバタの頼りないウソップ」みたいだからこそついつい泣けてきちゃうんです。

「侮られていたはずの小暮くん」みたいだからこそ予定調和じゃない奇跡を見せてくれるんです。

ちょっと頼りない存在だからこそ「愛されるバンド」になれる

どんどん強くなった無敵艦隊のような「今のハイコーフェスの出演者」の中でこそ輝く、

「どうしようもないバンド」こそが「マドベ」なんです。

褒めてるようで褒めてない紹介なのかも知れませんが、そこが「マドベの魅力」で、

マドベが今はまだ「どうしようもないバンド」だからこそ、

「奇跡の1日」が完結するためにはどうしても「マドベの音楽」が必要だったんです。

 

「物語」が進むにつれて周りは必然的に強くなっていきます。

ハイコーフェスも同じで「ここまで残ってきた出演者」って「バケモノ揃い」です。

とは言え出演者が全組とんでもないバンドばかりだったら、

計り知れない戦闘力のエリートだらけだったなら、

そんな「ハイコーフェスの物語」なんて誰が興味を持てるんでしょう?、

登場人物が「カンスト」し過ぎると冷めちゃうって経験って皆さんにもないですか?、

強い奴だけが「必ず勝つ」みたいな「展開」の繰り返しだけでは、

いつしかみんなから見向きもされなくなって愛されなくなるんです。

そしたらどうでしょう?

「最強のひとりぼっち」だったのがサニーサニーさんでしたよね。

サニーサニーさんにも「最強」が付いちゃってますからね、

もはや「最強の1人」になってしまっている訳ですからね、

このままだとやっぱり「ハイコーフェスって奇跡の物語」としてはなんか展開が弱かったんです。

 

そんなボクの想いを知ってか知らずか、

 「サニーサニーガールでも、バンドででも、どっちでも好きな方で出演してください!」、

「自分で決めなきゃね、大事な事は特にね!」って、

最後のハイコーフェスの出演依頼を出してから何日かした頃でした。

それまでは「ハイコーフェスだけは独り占めしていたいかも」なんて口にしていたのが一変して、

「進藤さん、いろいろ考えたけどバンドで出る事にします!」、

それがサニーサニーさんからの返事でした。

 

あの子が自分で決めた「物語の続き」が「マドベ」だったから、

あんなに大事にしていた「ひとりぼっちのあの子が歌う淋しい歌」だったけど、

ボクはちっとも淋しくなんかありませんでした。

だって「最強のひとりぼっち」だったはずのサニーサニーさんが、

こんな予想を裏切る展開をハイコーフェスに突きつけてくれるなんて無性にワクワクしませんか?

「予想を裏切って惹きつける」って「こんな見事な展開」をボクは心のどこかで期待していたのかも知れません。

何度も書きますが、サニーサニーさんってボクの分身なんじゃないかって時があるんです。

ボクのそんな「心のどこかで期待していた展開」なんか、きっと全部お見通しだったから、

だからこその「バンド」、だからこその「マドベ」だった気もしています。

 

とは言え、ひとりぼっちで立つステージは孤独である覚悟が必要だけど、

みんなで立つステージはひとりで立つステージより覚悟が必要です。

サニーサニーさんが本当にボクと似てるなら、

「メンバーみんなの想いも背負ってステージに立つ」しか「やり方がない」はずだから、

だからこそ「マドベで出演したい!」って「この選択」をボクは心から応援しています。

 

「ひとりぼっちのあの子」が「バンドを組む」ってそれだけで「奇跡」なんです。

自分しか信じ切れないから「ひとりぼっち」だったはずのに、

「バンド」って「奇跡」を手にして、

「ハイコーフェスって奇跡」に「奇跡」を届けに来てくれるんだから、

「奇跡」に「奇跡」を重ね塗りするんだから、今年もハイコーフェスは「奇跡」で決まりですよね!

 

「あの子」が自分で見つけた「あたらしい居場所」が「バンド」なんだから、

ボクは笑ってこんな「淋しい世界」から「ひとりぼっちのあの子」を解放してあげなきゃで、

ボクが誰より「マドベの音楽の力」を信じて応援しているつもりです。

 

 

嘘偽りなくでハイコーフェスは今年で本当におしまいです。

もうボクも君も「無理してひとりぼっち」でいる必要なんかないんだから、

「ひとりぼっち」なんかどっかに忘れて、どうかあなたも大人になってください。

ボクが君に背負わせて来たのが「ひとりぼっち」だったから、

「ひとりぼっちだけどひとりぼっちじゃない歌」もたくさん歌って、

これからはもっとたくさんの「ひとりぼっちたち」を喜ばせてあげてください。

あなたの歌に救われる「ひとりぼっちたち」が、

「あたらしい世界」にはもっとたくさんいるはずです。

 

ボクの大切にしていた「ひとりぼっちのあの子の物語の続き」は「バンド」でした。

「マドベ」って「どうしようもないバンドの物語」が、

「ひとりぼっちで淋しい歌を歌うあの子の物語」の「これが最後の1ページ」です。

 

 

追伸:せっかくキレイに締めたつもりで書き終えたつもりだったけど、

1曲目だけはどうしても「ひとりぼっち」で歌いたいらしく、

「進藤さんの聴きたい歌を歌います!」って言ってくれたのでスゲー曲をリクエストしています!

ボクがサニーサニーさんに贈る「最後のリクエスト」って一体どんな曲だったのでしょうね?

こんな「淋しい曲」リクエスト出来るのはきっとボクくらいのものですから、

「本当の淋しい」を知りたい方はどうかハイコーフェスに見に来て下さいね!

「ひとりぼっちのあの子」は、もうハイコーフェスにいないけど、

ボクは「あの子」の「淋しい」ところが1番好きだったから、

「最後のリクエスト」は「涙のリクエスト」です。

今年は「君」の代わりに「ボク」が「淋しい」になろうと想っています。

ひとりぼっちのあなたへ、ボクが君の想い出になってあげる。